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「無能と思われたら職場を変えたらいい」一理あるとは思うけど【コラム】

こんにちは。巷ではこんなブログエントリーが話題になっているそうで、私自身も目にする機会がありました。

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今回はちょっと当ブログらしくなく、というか自分らしくなくこのブログエントリーに対する考えを書き綴ろうと思います。

前置き

こういうブログエントリーに対するセルフアンサー的な内容を書く場合、自身の経歴も前置きとして書くのがそれなりの筋かと思います。うわべだけの内容にしたくないですしね。

私自身もフリーターとしてアルバイトを 5 年くらい、そして正社員を 10 年くらいやっていたことがありました。今は個人事業主 4 年目です。

※こっから先はちょっと長いので、すっ飛ばしてもらっても構いません。

板前時代

一番最初の正社員は、日本料理の板前です。板前といっても包丁なんて持たせてもらえないくらいの見習い中の見習いです。21 歳後半から 23 歳とちょっとまでの 1 年半で辞めましたが、この時代は今でも思い出すとムカムカするほどの苦しい時代でした。最近ようやく夢に見なくないりましたね。

就業時間が朝 7 時から夜の 10、11 時くらいまでで、もちろん拘束時間的な辛さもあったし、このころの手取りは 13 万円くらいで、なかなか苦しかったです。でも寮ということもあったり法外な拘束時間(もちろん残業なんて概念はなし)のおかげでお金を使う暇もなかったので、まったく生活ができないというわけではありませんでした。

やはり一番辛かったのは、朝から夜まで人格を否定され続けたことです。遅れて優雅に出社してきた先輩や板長の機嫌を伺いながらビクビクする毎日。朝から怒鳴られ、人格を否定され、理不尽な理由で手を出され。

何度か辞表は出したのですがその場で破り捨てられました。

今思えば、労働基準監督署に訴え出るか殴られた証拠を残して裁判でも起こしてたら即解決だったんですけど、あの時はそんなことを考える余地もなかったんだと思います。

結局当時乗っていたバイクで(運よく?)事故を起こしてしまい、次の日に板長に蹴られた反動で実はヒビが入っていた鎖骨が折れ、そのまま自力で歩いて病院まで行き、ギブスをしてもらってある程度体を動かせるようになってから逃げるように寮も出てそのまま会社も辞めました。ちゃんと辞められるまでもいろいろあったのですけどね。

アパレル業界の入り口

鎖骨は結局手術で金属プレートを入れて固定し、骨がくっついたらプレートを外すという手法で治療したので、金属プレートでの固定手術後は結構すぐに仕事復帰できました。事故後一か月程度です。でももちろん激しい仕事はできないのと二度と板前なんて陰湿で地味で汚い仕事はしたくなかったので、アパレルのアルバイトから始めました。

なぜアパレルかというと、とりあえず受けた雑貨販売のアルバイトの面接に受かったと思ったら、アパレル部門に回されたことがきっかけです。それが私のアパレル業界への入り口となりました。

アパレルのバイトで 2 年半くらい。このときはフルタイムのバイトとして働いてて、最初の 1 年は販売、次の半年は販売兼レジ担当、そして残りの 1 年は店舗の営業管理室担当という感じで段々と裏方に回っていきました。

役割を変更していったのは自分の意思です。最前線で販売を行っているスタッフは、はっきり言って末端です。会社にとってもお店にとっても結局は売上命なので、良く売るスタッフがフロアに出て販売を行いますが、逆に言えば販売しかできない “無能” なスタッフがフロアに出てた感じ。私のところはそうでした。

っと、敢えて極端な書き方をしました。なぜかというと、この頃の私は結構勘違いをしていました。自分はできる、自分は皆とは違う、自分にはもっと良い職場環境があるはず、そしてもっと時給を上げろ。そんな感じで。

結局はバイトの分際で店長と喧嘩をしてそこを辞めました。新卒入社の “無能” 社員を馬鹿にしまくっていたので、結構問題児だったと思います。

真のアパレルとの出会い

次に入社したのが、前のアパレルバイト時代に知り合った韓国人の友達に紹介された、韓国発のスポーツ & カジュアルブランドのアパレル企業です。ここはなんと面接開始 5 分で正社員として合格しました。しかも面接の日は会社の場所がわからなくて 45 分も遅刻したのに(笑)

ここも合計で 2 年半くらい働きました。最初は平社員の販売員でしたが、横浜に新店舗をオープンするということで、確か入社 3 ヵ月くらいで店長として横浜の店舗に異動しました。

ここでもいろいろありはしたけど、自分のアパレル人生の中で一番大変で一番充実していました。販売の難しさと楽しさを勉強できた良い時代です。最初の 3 ヵ月は原宿の路面店、次の 1 年が横浜のテナント店、そして新宿の百貨店に 8 ヵ月、残りが町田のテナント店とお台場のテナント店を行ったり来たり。

結局ここも最終的には本部(特に韓国人の社長)と揉めて辞めることにはなったのですが、それから半年も持たずに日本撤退が決定的となったので、このタイミングで自分から退社できたことは結果オーライです。しかも辞めるにあたって転職活動もしていて、退社した次の月から新たな企業で働き始めることもできたし。

辞めるにあたってお世話になった上司や本部の方にはお礼のメールを送ったけど、わざと社長には送りませんでした。まぁここでもそれなりに問題児でしたね(笑)

最後のアパレル

個人事業主になる前に属していて、なんだかんだで 5 年在籍してしまったのがとある国内のそれなりに名の知れたバックブランドの企業です。新たにインポートに特化したアパレル部門を立ち上げるとのことで、一応運よく立ち上げの一期メンバーとして迎え入れてもらえました。

前の会社とは規模も違ったしもちろんネームバリューもあったのでその時は『キャリアアップしたー!』と浮かれていたのですが、結局はそれも報われずに終わることになります。5 年在籍していたなかで、4 年は新規で立ち上がった部門に属していたのですが、その部門が 4 年で消滅することとなったので、最後の 1 年は本体に吸収された感じです。

国内のアパレル企業は基本的にクソ体育会系です。その企業もそうでした。ただその企業の新規部門は全員が外部から集められた完全に新メンバーでの組織となっていたので、最初の方はなんとか隔離された存在でクソ体育会系の流れを受けずに済んでいたのですが、業績が業績だったもんで段々とクソ体育会系の流れに乗せられる羽目に。部門が消滅して本体に吸収されたときはドップリと浸からされていました。

でも今思えば、そんなクソ体育会系もそんな苦ではなかったですね。心まで侵されていたわけではなく、どっかで息抜きしたり、通勤時の電車が遅延したら急げば出社時間に間に合う場合でも会社からちょっと離れたコンビニのイートインスペースで一休みしたり、朝の全体朝礼を抜け出してコンビニのイートインスペースで一休みしたり、就業時間中も抜け出してコンビニのイートインスペースで一休みしたり。どうせ長くいるわけではないしそのうち辞めるからと思って超適当な毎日を過ごしていました。その頃は、退職、残業、パワハラ、就業規則に関することなど、それなりに知識武装もできていたので、なんの罪悪感もなく定時ちょっきりに退社です。

“どうせ長くいるわけではないしそのうち辞める” と思い始めたのにももちろんきっかけがあります。それは、自分が成し遂げたことを直属の上司に理解してもらえなかったことです。これには一番辛い思いをさせられました。そして辛さを通り越して悟りを開き、『会社はとりあえず在籍していれば基本給は支払ってくれるところ』程度に開き直っていましたね。これは 5 年在籍していた中で、2 年目くらい芽生えた悟りです。

理解してもらえなかったこととは、もともとその企業の本体で利用していたロジシステムを新規部門でも使うにあたって(無能な上司が)取り決めていた採番ルールを 1 から見直し、そしてこれまでアナログ作業で行っていた入力作業を自動化するシステムを、自分一人で構築したことです。

システムを構築したといっても VBA を組んだだけですけどね。採番ルールを見直してちゃんとした内容のものを作り、それに当てはめたシートを作成してくれれば、あとはロジシステムに自動で取り込むようにしたんです。それまでは採番ルールもめちゃくちゃでバッティングしていることが多々あったり、実際の入力作業も全て手入力だったので、海外に商品を買い付けに行く時期なんてスタッフ総出の徹夜作業なんて当たり前でした。それを、ボタン一つで終わらせることができるシステムを独学で勉強して作ったんです。

もちろんそんなシステム、専門の企業に頼めばすぐにできてしまうと思います。この話で重要なのは、自社でそれを完結させたことです。アパレルの企業なんて、本部の人ですら Excel 関数を知らなかったり、元々ある表に数字を入力する程度のことしかできない奴らがゴロゴロいます。

私自身は、この企業に属す以前の韓国系の企業で働いている時に、毎朝毎晩の通勤時間に本を読んで Excel を勉強し、その時にそれなりに関数を覚えました。毎週毎月の報告書を作成するにあたって、データをた出すのに時間をかけてられなかったんですよ。フロアに出て接客するのが仕事の大前提でしたから。

当時はより多くの人とお話をしたいという気持ちが芽生えてたので、お客さんと話しをしているのが本当に楽しかったんです。不愛想なお客さんを笑顔にするのが何よりも快感でした。そしてそういうお客さんが再来店してくれることに幸せを感じていました。だから、少しでも長くフロアにいたかったし、その中で店長としての数値データの管理などもこなすために、Excel は必須だったわけです。

新たに入社した企業の新規部門の立ち上げではだいたい 30 台前後の同年代メンバーが集められていたのですが、『Excel なんて知らないし必要ない』なんてことを平気で言ってしまう海外ブランド店舗の店長経験者やバイヤーがたくさん。その中で Excel をまだまともに使えるのが自分くらいだったので、いつのまにかロジ関連を任されるようになっていたわけです。もちろん店頭で販売も行っていました。そんな中で VBA を勉強しシステムを構築したわけです。

そしてその時に上司に言われた言葉が、『ありがとう。で、君は次に何ができるの?』です。かなりショックを受けたのを覚えています。俺は今までいったい何のために、何をやっていたんだろう。っと。

その時に悟ったんです。多分この会社にいても、この上司の元で仕事をしていても、自分のやることは理解されないし、報われることもない。そもそもたった 4 年で消滅するくらい業績が悪い部門だったので必死で頑張っても意味ないし、そんな部門と運命を共にする価値もありません。だったらとりあえず在籍してればお金は出るから、あとは副業でなんとかしようと。そしてそのうち転職するか、もしくは独立しようと。

ちなみに今につながる輸入販売の副業を始めたのはその頃で、丁度「HT-03A」と共に Android にのめり込んでいきました。当時は趣味程度でしたが。

新規で発足した部門は 4 年で消滅し、それまでの直属の上司は会社に対して散々な負債をもたらしたまま退社してどっかいきました。そして私は本部に吸収されることとなったのですが、体育会系のノリもいよいよ耐えられなくなり半年で退社を決心。そして 2013 年 8 月末でその会社を退社し、独立して今に至ります。

前置き終わり

すいません、随分と自分の経歴紹介が長くなってしまいました。私の場合はこんな感じで会社人生を経験し、そして今は個人事業主として活動しています。

「無能と思われたら職場を変えたらいい」を読んで思ったこと

「無能と思われたら職場を変えたらいい」を読んで思ったことは、確かに一理あるけど、それを真に受けてしまってもダメなんじゃないか、ということです。私自身も挫折して会社を辞めたし、自分の居場所を探すために転職もしました。そして会社に耐えられなくなって個人事業主になりました。

個人事業主が自分にとっての正解なわけではなく、これまで生きてきた人生の結果が、今のところは個人事業主だったというだけです。違う道を選んでいたら、会社員として立派になっていたかもしれません。個人事業主がハズレだったとも思っていないけど。

私も 20 代前半の会社員時代に自分の人生を不安に思って「やりたくない仕事はやらなくていい」みたいな題名の本を手に取ったこともありますけど、結局は買って読むことはありませんでした。「無能と思われたら職場を変えたらいい」という考えも、その題名の本と同じ感じ。最初から無駄なことや辛いことから逃げて常に自分の居場所を探していたら、大人になってもその連鎖から抜け出せなくなると思うんです。

人生は正解を追い求める旅ではあるけど、それは無駄なことや辛いことから逃げることではなくで、無駄なことや辛いことに立ち向かっていくことだと思うんですよね。一応の前提としては。

私自身も例えば板前を逃げるように辞めたし、働かせてもらったアパレルの会社とも結局ほとんどが喧嘩別れなので、「無能と思われたら職場を変えたらいい」というのが結構当てはまります。でもそれは結果的にそうなったってだけで、当時「無能と思われたら職場を変えたらいい」という考えがあったわけではありません。

今思えば、あの時の辛い思いや我慢した思い、そして自分との葛藤は今の自分を形成する上での糧となっています。だから、最初から「無能と思われたら職場を変えたらいい」って考えを持つのは正解ではないと思うわけです。

もちろん法外な残業をさせられたり、セクハラ・パワハラ・暴力などを我慢しろってことではないです。そこはしっかりと戦うべき。でも今の時代って、自分にとって不具合なことが起こったらすぐ “ブラック企業” ってセルフで認定してそれを拡散する人も多いから、見極めが大事ですけどね。

でも実は「無能と思われたら職場を変えたらいい」が今しっくりくる

実は今、「無能と思われたら職場を変えたらいい」って考えは、自分にかなりシックリきます。無能と思われたり逆に無能と思ったら、さっさと辞めて自分で立ち上げればいいだけですから。というか今現在、そう思って個人事業主として活動を開始しているわけでもありますからね。

ただこれはあくまでも、これまでの人生と今の自分があるからです。

この件に関しては立場や経験が違えば意見も変わってくるとは思います。元々答えがあるようなことでもないですし、より多くの意見を聞けたら有意義ですね。

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執筆者情報:石井 順(管理人)

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